2012年7月29日日曜日

今月今夜のこの月を


 私が喫煙所にしている外階段の踊り場から月が見えます。ただ見えるだけではありません。
明るく輝いて見えるのです。都内の住宅街は意外に暗いのです。隣家の屋根が街灯を隠して、
近所の家が雨戸を閉めてしまうと、新月の夜などは、漆黒の闇と言った景色になります。
満月の時などは、殊更に明るく、踊り場の灯りを落とすと、くっきりと影ができます。
このような夜に煙草を喫っていると、決まって、尾崎紅葉作「金色夜叉」の一節が頭をよぎ
ります。
 金に目の眩んだお宮が、熱海の海岸で寛一を袖にすると、寛一は我を忘れてマントを翻し、
お宮を下駄で足蹴にして、こう吐き捨てます「今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる」と。
 しかし、この一節、「あれおかしいな?」と思ったことはないでしょうか。翌年の同じ月、
同じ日の月が、同じ月とは限りません。明治時代、熱海の海岸に街灯などはありませんから、
夜に散策をしたのであれば、くっきりと影ができるほど明るい月が出ていたに違いありません。
その明るい月を「曇らせてみせる」と言うからこそ、寛一の無念さが伝わるのであって、三日月
や半月ではいけません。
 ご安心ください。尾崎紅葉が筆を執っていた頃、翌年の同じ月、同じ日の月は、やはり、
くっきりと影ができるほど明るい月が出ていた筈だからです。明治政府は欧化政策の一環として、
暦に太陽暦を採用しましたが、簡単に普及したわけではなく、民間では、依然として太陰暦が使
われていました。
 月の満ち欠けによって暦を刻む太陰暦では、一日は新月、15日は満月と決まっています。
だからこそ、寛一は、「今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる」と言い放てたのです。 
さて同様に、新月は仏滅、満月は大安と決まっていますから、寛一は、大安吉日である十五夜
の満月の晩に、お宮を誘い出して求婚しようとしたに違いないのです。
 因みに、尾崎紅葉作「金色夜叉」は、完結していません。寛一とお宮の悲恋物語は、紆余曲折し
てよたよたしながら、最後には断ち切れになってしまったのです。明治らしい、なんとも大らかな
結末ではありませんか。

情報は世界を征す


  「世は、将に、情報化時代である。」という事になっています。
1950年代に、アルビン・トフラーは、その著書「第三の波」の中で、
農業革命、産業革命に次ぐ、脱産業社会の到来を予言しました。
    当時の人々は、その予言を全く信じませんでしたが、1999年に
ノストラダムスの予言が外れて、2000年問題が不発に終わり、21世紀
に突入すると、誰もがトフラーの予言は的中したと思うようになりました。
 この情報化時代の到来は、コンピューター(電子計算機)の技術革新
によって、もたらされました。CPU(中央演算装置)の速度は、GHz(ギガ
ヘルツ)を超え、1TB(テラバイト)のHDD(ハードディク・ドライブ)が、ポケット
に入る様になりました。
  GHz(ギガヘルツ)のCPUとは、1秒間に1億文字を情報処理することが
できる能力であり、1TB(テラバイト)のHDDとは、1兆文字の電子情報を格納
できる装置です。人類は、僅か50年で、コンピューターの処理能力を、
このレベルにまで、向上してしまいました。
 実は、コンピューターの発達と宇宙開発とは、非常に深い関係にあります。
1960年、最初のコンピューターが開発されてから10年後に、アメリカの
ケネディ大統領は、「ソ連を必ず抜き返し、60年代の終わりまでには、
アメリカ人を絶対に月に送ってみせる。」と公約して、1970年にアメリカは、
アポロ11号でアメリカ人を月へ送り込みました。
  アメリカにとって、人類を月へ送り込むロケットを開発することは、さほど、
難しいことではありませんでした。問題は、ロケットを正確に月へ到達させる
ために必要な、月と地球との位置関係が最適な日時と、最適な発射角度と、
最適な運行速度を算出することでした。これらの数値は、ニュートン力学の
公理に基づき、微分方程式で表すことができます。
  しかし、表された微分方程式が解を持つとは限りません。むしろ、解を持つ
方程式は圧倒的な少数派で、しかも、ニュートン力学の公理に基づいて表現
された微分方程式は難解で、簡単に解くことはできませんでした。
 前者の課題、解を持つ微分方程式を見分ける方法は、19世紀末にフランス
の数学者コーシーによって発見されていました。残されたのは、後者の課題、
難解な微分方程式を解く方法を見つけることでした。微分方程式を解くためには、
複雑な計算(積分)を何度も、何度も繰り返して、存在する関数に辿り着く必要が
あります。しかし、解に辿り着けなくても、複雑な計算(積分)を何度も、何度も
繰り返せば、限りなく解に近づくことはできます。要するに、複雑な計算
(積分)を何度も、何度も繰り返し行える装置があれば良い訳です。それが、
コンピューターでした。
 当時のコンピューターは、真空管やトランジスタを利用した比較的処理能力
の低い計算機でした。しかし、1957年に、江崎玲於奈が開発した半導体
ダイオードによって、コンピューターの処理能力を飛躍的に向上させることが
可能になりました。
 これで、全ての条件が揃い、ケネディ大統領は、「アメリカ人を絶対に月に
送ってみせる。」と公約できたのです。その後、処理能力を飛躍的に向上させた
コンピューターは、宇宙開発のみならず、ビジネスや生活に利用されるように
なった事は、周知の通りです。
 人類は、農業革命によって、人々を飢餓の恐怖から開放し、産業革命によって、
人々を過酷な肉体労働から解放しました。しかし、脱産業社会の到来は、
人々を何から解放しようとしているのでしょうか。私は、脱産業社会の到来は、
人々を3次元空間の呪縛から開放しようとしていると、考えています。
人々の存在空間は、バーチャルな空間に爆発的に拡大しています。
 産業は、地球を飛び出して、宇宙に展開しようとしています。空間(場所)
を共有することは、重要な意味を持たなくなり、物理的な距離は、阻害要因
ではなくなっています。しかし、農業革命がもたらした富が、人々を争い事
に駆立て、産業革命が核兵器を産出したように、脱産業社会が産出した膨大な
情報は、人々に重く圧し掛かって、心や精神を痛めつけています。
 かつて、チャップリンは、映画「モダンタイムス」の中で、産業革命によって
産出された機械に、隷属させられる人の姿を描きました。機械が、道具であり
手段であるように、情報もまた、道具であり手段です。手段が目的やゴールに
なることはあり得ません。人が、情報という手段を使って、世界を征すること
があっても、情報が人を征する事は、在ってはならないのです。
タイムトンネル

2012年7月25日水曜日

古い窓ガラス


 この古い木造家屋は、だるま宰相と呼ばれた高橋是清翁が住んだ邸(やしき)です。
是清は、勝海舟の息子小鹿(ころく)と伴に、アメリカへ留学しますが、仲介者に
学費や渡航費用を着服され、農奴として売られるなど苦労を重ねます。帰国後は、
英語力を活かして教員になります。東京大学予備門英語教員時代に、俳人の正岡子規や
日本海海戦作戦参謀の海軍中将秋山真之を指導したことは、小説「坂の上の雲」
に紹介されたことで有名になりました。文部省御用掛を兼務した後、農商務省御用掛に
転じて頭角を現します。
 この邸を建てた頃は、日本銀行副総裁を勤めていました。邸の南と東に張巡らされた
ガラス窓は、正しくは「硝子障子」と言います。電燈が普及していなかったこの時代、
太陽や月の明りを室内に取り込むことは、家を建てる上での重要なテーマでした。
是清がいた頃のアメリカでは、既に板硝子の量産が始まっており、暮していた家の窓
にも硝子がはめ込まれていた筈です。ガラス窓を通して差し込む、太陽や月の光は、
眩しかったことでしょう。その上、断熱や保温効果の高いガラス窓に、是清は、憧れを
抱いたに違いありません。
 この邸が建った二十世紀初頭、日本での板硝子の生産は、まだ、始まったばかりでした。
国内生産が始まるまでの板硝子は、全て輸入品で、個人の家屋に使用するには高価すぎました。
農商務省に勤めていたことのある是清は、板硝子の国内生産が開始される時期を知っていて、
板ガラスの国内生産が開始されまで、この家の着工を待っていたのでしょう。
待っていた甲斐があって、この邸には、ふんだんに板硝子が使われています。まるで、
辛く苦しかったアメリカ時代を払拭するように。
 さて、板硝子には、庭の木々が映り込んでいますが、上手く像が結べていません。
これは、ピントが合っていない訳でも、硝子障子の建て付けが悪いわけでもありません。
この時期に製造された板硝子は、一枚、一枚、職人が手作業で製造しており、表面には、
僅に凹凸があります。このため、写りこんだ木々は、微妙に歪み、乱反射して、
キュビズムの絵画のように見えるのです。是清翁は、この硝子障子から見える庭木の
遥か向こうのアメリカやヨーロッパを見ていたことでしょう。
 この邸が建った数年後、日本は、日露戦争に突入します。是清は、戦時公債募集
のために欧米を訪問します。彼の努力で、日本は、戦争を継続することができました。
教え子の秋山真之が、日本海でバルチック艦隊を撃滅すると、やがて、戦争は日本の勝利
で終結します。
 その後、是清は、六度、大蔵大臣に就任して、片面だけを印刷した急造の二百円札を
大量に発行して、昭和の金融恐慌を沈静化させ、世界恐慌により引き起こされたデフレ
経済から、いち早く、日本を救出して見せました。しかし、時代は、青年将校を唆して、
この邸の二階で、是清翁を絶命させてしまいました。近年、暗殺される政治家がいないのは、
暗殺するに足る政治家がいないためだと、皮肉を言う評論家がいますが、デフレ経済に
溺かけている政治家を、「哀れ」と思っても、沈めてしまう価値は無いのかもしれません。