2012年9月28日金曜日

カインとアベル 3,4

 3.「カインとアベル(第四章)」の物語は、善と悪、罪と罰と贖罪について述べています。カインは、神への供え物を神が顧ない事に憤ります。その怒りは嫉妬と成って、弟のアベルへ向けられ、カインは、遂に、アベルを殺してしまいます。ここで、問題なのは、カインが土の産物を供え物にした事です。土は、アダムの罪によってのろわれています。のろわれた土の産物を供えることは、神をのろうことにならないでしょうか。神は、カインの供え物を顧みずに、こう言います。「もし正しいことをしていないのでしたら、罪が門口で待ち伏せています。それは、あなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません。(第四章七節)」と。
 ここで言う罪とは、悪魔の事です。カインは、自分の行いが善か悪かを知りません。悪魔は、その無知に付け込んで、カインに罪を犯させようとしますが、カインはその誘惑を、有知をもって退けなければならないと、神は言うのです。しかし、カインは悪魔の誘惑に負け、アベルを殺してしまいます。人(カイン)は、エバやアダム(土及び人間)のように、無知であるが故に悪魔に唆されて、再び罪を犯してしまうのです。罪を犯したカインは、アベルの居所を尋ねる神に、知らないと嘘を吐きます。もはや、悪魔の言うが儘です。

 蛇=悪(魔)とエバとアダムの犯した罪により、土は、最ものろわれた霊的な存在である悪魔が這い回る場所にされることによって、霊的にのろわれ、いばらとあざみを生じる痩せた土地にされることによって、この世的にのろわれることになりました。地を這う悪魔は、なぜ、カインを唆してアベルを殺させたのでしょうか。悪魔は霊的な存在ですから、悪魔が活動を続けるために必要なエネルギーもまた、霊的なものの筈です。すなわち、怒りや恨みや憎しみなどの負のエネルギーが、悪魔の原動力です。人を恨んで死んだ人の魂は、死後も負のエネルギーを出し続ける筈ですから、悪魔は、この魂を虜にして、負のエネルギーを奪い、活動を続けようとするのです。ですから、カインを唆してアベルを殺させ、死んだアベルの魂を虜にしたのです。「この土地が口をあけて、あなたの手から弟の血を受けた(第四章十一節)」とは、この事を示しています。哀れアベルは、カインに殺され、恨みと憎しみに苛まれながら、悪魔の虜にされて地獄に居続けることになったのです。
 これは、教訓です。人は、善悪を知る父と母から生まれたからといって、直ちに、善悪を知る者にはなりません。無知は、罪ではありませんが、時として、人に悪しき行いをさせることがあります。この時、神の言葉に耳を傾けて、悪魔の誘惑を退けることが出来るかどうかが、試されているのです。
 カインは、犯した罪のために罰を受けることになりますが、全ては、カインの行い(アベルを殺した事)によって惹き起こされます。アベルの魂は、この土地(悪魔)に留まり(捕われて)カインをのろい続けますから、カインは、この土地を離れざるを得ません。しかも、土地(アベルの魂)は、カインを恨んで、彼に収穫物を与えませんから、もはや、土を耕す者には戻れず、放浪者として生きて行くほかなくなります。神は、カインにその事実を告げますが、関与はしていません。つまり、罪と罰は、因果応報であり、全ては人(カイン)の行いに起因していることを示しています。
 カインは、「わたしの罰は重くて負いきれません。あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならなければなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう(第四章十三節から十四節)」と神に言います。カインは、与えられた罰の重さから、犯した罪の深さを知ることになりますが、罰が、自分の行いに起因していることに気づいてはいませんし、罰を受け続ける事(応報)こそが、犯した罪を購う(贖罪)唯一の道である事にも気が付いていません。神は、道を示す代わりに、カインにしるしをつけて、「だれでもカインを殺すものは七倍の復讐をうけるでしょう(第四章十五節)」と言って、カインへの報復を禁じます。恨みや憎しみによって、罪人に復讐したり報復することは、悪魔を利するだけである事を知っている神は、人にそれらを禁じるのです。
 人は、神の試練を乗り越えて、自らの力で、善悪を知る者とならなければなりませんが、与えられる罰や祝福が、人の行いに起因しており、罰を受け続けることでしか罪を購う(贖罪)ことができないことも知らねばなりません。ですから神は、カインに道を示さず、生き続ける事(罰を受け続ける事)で罪を購い、善悪を知る者となることを望んだのだと思います。
 その後、カインは、エデンの東、ノド(流離(さすら)い)の地に住んだといわれています。カインは、町を建て、自分の子の名であるエノクと名付けます。アダムから数えて七代目レメクの子供達は、それぞれ、「天幕に住む家畜を飼う者の先祖」「琴や笛を執るすべての者の先祖」「青銅や鉄のすべての刃物を鍛える者」になったとされています。レメクは妻達に、「わたしは受ける傷のために人を殺し、受ける打ち傷のために、わたしは若者を殺す。カインのための復讐が七倍ならば、レメクのための復讐は七十七倍(第四章二三節から二四節)」と言います。
 カインが、自ら神の前を去って、流離いの地(ノド)に住んだということは、自分の宿命を受け容れて生き続けることを選択したからです。妻をめとり、子を生したカインが建設した町に、子供の名を付けたのは、自分のようにのろわれることが無いように願ったためと思われます。先に述べたように、カインに与えられた罰は、自らの行いに起因しており、神が彼をのろって罰を与えた訳ではありません。カインに罰を与えない神が、その子孫に罰を与える筈はありません。従って、カインの子孫達が繁栄していくことは、神の意志に背く事にはなりません。しかし、カインの子孫達は、カインの子孫であるが故に、人々から迫害を受けたに違いありません。神は、カインに復讐することは禁じましたが、その子孫を迫害することは禁じていないからです。カイン家系の中興の祖であったであろうレメクが、妻達に言いたかった事は、「自分はカインのように、怒りや嫉妬に駆られて人を殺したことは無く、迫害から身を守るためにやむを得ず人を殺したこと。その行い(罪)によって、カインと同様に重い罰受ける覚悟があり、その罪の深さと罰の重さは、カインの十倍(十人以上の人を殺した)以上だから、神は、わたし(レメク)を殺す者に七十七倍の復讐をするだろう。」ということです。おそらくレメクは、故無き迫害から、家族や子孫を守るために、その罪と罰を一身に背負うために、一人で迫害者に立ち向かったのだと思います。
 最後に、神がアベルの代わりにアダムに授けた男の子、セツのことが書かれています。そのセツにも男の子が生まれ、エノスと名付けられます。「その時、人々は主の名を呼び始めた。(第四章二六節)」とあるのは、神の子アダムの家系が繁栄することによって、神が人をのろってはいないことを知って、神に感謝するようになった事を示しています。
 この物語は、アダムの3人の息子の生涯を通じて、典型的な人の生き様が描かれています。カインは、悪魔に唆されて人を殺し、その罪によって受けた罰を贖うために、ノドの地を流離い生き続け、土を耕さない者の始祖を残します。アベルは、悪魔に唆されたカインに殺され、その恨みと憎しみのために悪魔の虜になり、恨みと憎しみに苛まれながら、地獄に居続けます。セツは、アダムの子としての生涯を全うして、土を耕す者の子孫を繁栄させます。
 
  4.さて、創世記には、突然、物語の脈絡とは無関係な短い物語が挿入されています。「バベルの塔(第十一章一節から九節)」の物語がそれです。創世記によれば、洪水の後の世界は、ノアの三人の息子、セム、ハム、ヤペテの子孫が、その氏族と言語にしたがって、その国々に住んだことになっていますから、「全地は同じ発音、同じ言葉であった(第十一章一節)」ことはありません。だから、この物語が、洪水前に起きた出来事だというつもりもありません。
 先に述べたように、聖書や神話などは、歴史的事実を象徴的な事物や、矮小化された比喩によって表現していると、私は考えています。聖書は、ユダヤ・キリスト教の世界観と価値観に基づいて書かれ編纂されています。しかし、世界に存在する宗教的世界観と価値観は、ユダヤ・キリスト教だけではありません。その対極あるものに、ギリシャ・ローマ的世界観と価値観があります。大洪水以前のギリシャ世界は、プラトンが書き残した書物に依れば、太平洋に浮かぶ巨大な火山島と、リビアに至る北アフリカとイタリア東部に至るヨーロッパを統治していたアトランティスと、ギリシャとその周辺を統治していたアテナイとに広がり、当時の世界では、全地と言えるほど広大な地域に広がっていました。当時のギリシャ都市は、小高い丘の上に築かれたアクロポリスという神殿を備えた王の居城を中心に、アクロポリスの丘を取り囲むように町が広がっていました。
 「さあ、町と塔を建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのをのがれよう(第十一章四節)」とあるのは、ギリシャ人が、アクロポリス(塔)を中心に、都市を建設して、その中心にある神殿(頂)を、天にあるギリシャの神々に捧げて、神殿に人々を集めて神々の名の下に祭事を行うこと(名を上げ)により、人心を纏めて、広大な領地を統治していった事を示しています。
 プラトンに依れば、アトランティスの最盛期、巨大な火山島を支配していたアトラス王は、アクアポリスに隣接する大平原に、一万台の戦車と戦車用の馬十二万頭と騎手十二万人。戦車の無い馬十二万頭とそれに騎乗する兵士六万人と御者六万人、重装歩兵十二万人、弓兵十二万人、投石兵十二万人、軽装歩兵十八万人、投槍兵十八万人、千二百艘の軍船のための二十四万人の水夫が招集できるようにしていたとあります。アトランティスには、アトラス王家の他に、九つの王家があり、リビアに至る北アフリカとイタリア東部に至るヨーロッパを、分割統治していました。アトランティスは、その強大な軍事力を背景に、中央アメリカから南米大陸、アフリカ西部から南部、さらには、当時温暖な土地であった南極大陸にまで植民地支配を拡大していきました。ユダヤの神が、この様子を見て、「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。(第十一章六節)」と言ったのは、この事を示しています。
 しかし、アトランティスの中心地であった巨大な火山島は、異常な大地震と洪水によって、一夜にして水没してしまったと言われています。「さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互いに言葉が通じないようにしよう(第十一章七節)」とは、この事を示しています。バベルには、混乱するいうと意味がありますから、ここでいうバベルは、町の名前ではなく、火山島水没後の混乱した状態を示していると考えられます。シナルの地とあるのは、シナルの地に、ハムの子孫のニムロデが統治したバベルという名前の町があったので、「バベルの塔」の物語をここに挿入するための辻褄合わせです。れんがとアスファルトは、高度な文明を示す比喩と思われます。
 創世記第六章一節から四節にも、「バベルの塔」の物語と同様、突然挿入された、物語の脈絡とは無関係と思われる「ネピリム」の物語があります。ギリシャ神話には、人と神とが交わって、生命が誕生する話が沢山出てきます。巨人であったかどうかは、知る由もありませんが、オリンピアに在ったゼウス坐像が、高さ12メートルあったことからも、古代ギリシャの人々は、神は巨大な生命体だと認識していました。ですから、人と神とが交わって誕生したネピリムも、人と比べて遥かに大きな生命体であったと思われます。
 アトランティスの建国神話に依れば、海神ポセイドンと火山島に住む人の娘クレイトが結ばれ、双子五組十人の子供が生まれて、アトランティス十王家の祖となったといわれています。「彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった(第六章四節)」とあるのは、昔(大洪水以前)、ネピリムは、アトランティス十王家の祖のような有名な勇士であったという事を示しています。

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