2012年9月23日日曜日

エデンの東1 1,2



創世記によれば、アダムとエバは、善悪を知る木の実を食べたために、神からエデンの園を追われてたといわれています。私は、聖書や神話などは、作り話ではないと考えています。シュリーマンがトロイを発見したからと言うわけではなく、人々が長い年月語り継いで来た物語には、語り継ぐだけの価値と意味が込められていると思うからです。20世紀初頭辺りから、実証主義は、歴史などの社会学分野にも広がり、経験的な事実に基づいていないとして、聖書や神話などの書物を、客観的な史料とは成り得ないとして、史料から排除してしまいました。しかし一方で、科学的に、客観的に検証し得ない事象を全て、歴史的事実から除外してしまうと、有史以前の人類の歴史は、荒唐無稽な作り話によって構成されることになってしまいます。ですから、私は、聖書や神話などは、作り話ではないという立場に立ち、その逸話は、経験的な事実その物ではないが、歴史的事実を象徴的な事物や、矮小化された比喩によって表現している考えているのです。
 例えば、ノアの洪水伝説と同様な洪水伝説は、世界各地に存在しますが、実証主義によれば、これらの伝説は、客観的な史料とは成り得ないので、洪水があったという事実も否定されてしまいます。しかし、世界各地で、同じ様な荒唐無稽な物語が創作され、長い間、伝承されて来たというのは、少し、無理があります。ノアという人がいて、大きな方舟を造って、自分の家族と動物達を洪水から救ったという事実があったかどうかは、ともかく、世界規模の洪水は、在ったと考えるのが自然だと思います。
 グラハム・ハンコックが著した「神々の指紋」によれば、16世紀に書かれた地図に、南極大陸の正確な海岸線が描かれています。また、同年代の地図には、ベルギーまで氷に覆われているヨーロッパが描かれています。これらの地図は、航海や測量によって緯度経度を算出して描いたものではなく、古くから伝承されて来た地図を元に、描かれています。「神々の指紋」の論点の一つは、この伝承された地図が、何時の時代に作成されたのかということです。人類は、最古の文明であるエジプト文明から、18世紀頃までは、高度な航海術や経度測量技術は持ち得ていません。ですから、更に時代を遡った大洪水以前に、高度な科学技術を持つ文明があって、伝承されて来た地図は、その文明が作成した地図だというのが、グラハム・ハンコックの見解です。
 グラハム・ハンコックは、今から一万年から一万五千年前に、大規模な地殻変動によって、南極大陸やアラスカ、シベリアが、今の極圏内に移動したために、大洪水などの天変地異が発生して、南極大陸やアラスカ、シベリアは、氷に覆われ、高度な科学技術を持つ文明は、滅んでしまったと主張しています。現在では、各地の同時代の地層から、マンモスやトクソドンなどの大型哺乳類の屍骸や骨が、大量に発見されたことなどから、地球規模の大災害が発生したことが、確認されています。だからといって、聖書や神話などの書物に書かれている事が、全て、歴史的な事実であると言うつもりもありません。また、宗教裁判や魔女狩りが復活しても困ります。
 さて、話を創世記に戻すと、創世記は、大きく3つの物語、「天地創造と原初の人類」「イスラエルの太祖たち」「ヨセフ物語」に分けられます。しかし、私は、創世記は、大洪水以前と以後に分けられるべきだと考えています。大洪水以前の創世記には、「天地創造」「アダムとエバ」「失楽園」「カインとアベル」「ノアの方舟」「バベルの塔」の6つの物語があります。「バベルの塔」の物語は、大洪水以降の物語だとするのが定説ですが、私は、大洪水以前の話だと考えています。以下は、大洪水以前の創世記に対する私の勝手な解釈です。
 
  1.「天地創造(第一章)」の物語は、宇宙及び太陽系と地球の形成と人類の誕生について述べています。

  2.「アダムとエバ(第二章)」と「失楽園(第三章)」の物語は、神の国と地上及び、人と動植物及び、善と悪の関係について述べています。エデンの園は、神が歩き回っていることからも神の国、すなわち、あの世であります。あの世は、魂の精神世界ですから、ここに置かれた人は、霊的存在であったと考えられます。善悪を知る木は、受肉化、肉体を持ってこの世に生きる人間を象徴しており、命の木は、精霊化、人間の霊的存在である精霊を象徴していると考えられます。エデンの園に、人の手助けのために造られた獣や鳥も、同様に、霊的な存在です。神は、人のあばら骨から女を造りますが、これは、人= 男性すなわち地球、女すなわち月を象徴した話だと考えられます。現在、月は原始地球が、火星ほどの大きさの天体と激突した結果、形成されたとされています。つまり、月は地球の一部分から形成された訳です。地球の六分の一もの体積を持つ月は、衛星というよりは、二重惑星というべきで、地球と月は、誕生の経緯からも、ニつで一つの惑星を構成していると言えます。「それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。(第二章二四節)」とあるのは、そのことを示しています。
 蛇は、悪魔の象徴です。明けの明星といわれた大天使ルシフエルは、地上で悪の限りを尽して、やがて、天へ戻る時に、その身を龍に変身させて天へと向いましたが、神は、ルシフエルを天へ入れることを許さず、大天使ミカエルを遣わして、撃退することにしました。ルシフエルは、ミカエルによって撃たれ、地に落ちてその身は蛇となって、暫くの間は体を動かすことも出来なくなりました。
 その蛇=悪(魔)は、人(女)を唆して、人に罪(善悪を知る木の実を食べること)を犯させます。人(女)は、悪しき者ではないが、罪を犯したために罰を受けることになります。人(男)も、悪しき者ではないが、蛇に唆された人(女)に言われるがままに、罪を犯したために罰を受けることになります。人(女)に与えられた罰は、生みの苦しみを増す事、人(男)に与えられた罰は、人(男)のためにのろわれた地から、一生、苦しんで食物を取ることです。そして、神は、彼らに、皮の服を造って着せて、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。(第三章二二節」と言って、エデンの園から追い出してしまいます。この時、人(男)はその妻に、エバ(生きる者または生命)と名付けます。月の化身であるエバが、全て生きた者の母の象徴であるからです。
 あの世であるエデンの園から追い出されるということは、この世である地上に、肉体を持って(皮の服を造って着せてもらい)生まれるということです。神は、善悪を知る木の実を人が食べると、われわれのひとりのように、善悪を知るものとなり、エデンの園に居られなくなるので、人にその実を食べることを禁じていました。大天使であった悪魔は、その事を知っていて、人(女)を唆してその実を食べるように仕向けたのです。しかし、神は、悪魔に罰を与えますが、エデンの園から追い出してはいません。悪魔に、肉体を持ってこの世に生まれることを許さず、一生(未来永劫)、腹で這いあるき、ちりを食べる最ものろわれた霊的な存在であり続けさせるためです。
 さて、神は、人が善悪を知る木の実を食べるまでは、命の木の実を食べることを禁じてはいません。この事は、肉体を持って地上に生きる人は、永遠に生きることは許されず、精霊となって、あの世で暮す人には永遠に生きることが許されるということを意味します。神は、エデンの東に、ケルビム(智天使もしくは守護天使)と回る炎のつるぎ(雷)を置いて、命の木を守らせ、人を遠ざけます。

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