2012年8月2日木曜日

宵越しの金は持たねえ


  ここは、浅草伝法院通りです。浅草には、土地柄、舞台や芸事に纏わる店が、数多くあります。
私も学生時代に、よく通ったものです。もっとも、私が通っていたのは、裏通りの安い古着屋で、
資金の乏しい学生演劇部員では、表通りのお店の商品には手が届きせんでした。浅草の町には、
江戸情緒が上手に残されていて、仲見世通りには、江戸から続く店も沢山あり、当時と変わらない
物を売っています。写真に写っている店の鎧戸に描かれている浮世絵も、江戸を代表する文物
(ぶんぶつ)の一つです。浮世絵は西洋の印象派の画家達にも大きな影響を与えましたが、当初は、意外にも、陶磁器や漆器の包装紙として、西洋に渡りました。
  浮世とは、古くは「憂き世」と書いて、「辛く苦しいこの世」という意味でしたが、浄土宗や
浄土真宗などの鎌倉仏教によって、人々の間に、仏教の世界観が浸透すると、「来世」に対する
「現世」という意味に転ずるようになりました。仏教では、魂の精神世界である来世こそが、
真実の世界であり、現世は、肉体に宿った魂が精神修養をするための、かりそめの世界である
としています。憂き世は、「はかなきこの世」を意味するようになり、浮世(ふせい)という字を充てる
ようになりました。
  江戸時代になると、度重なる災害によって人々の心の中に、深く厭世観が広がるようになります。18世紀の日本は、数年於きに、地震や洪水などの天災や、大火などの人災に見舞われました。富士山や浅間山の噴火の影響もあって、平均気温は今より5度も低かったようで、冷害や飢饉が毎年のように繰り返され、食糧不足により、大規模な一揆や打ち壊しも、頻発しました。
    しかし一方で、江戸の人々は、「どうせ、はかなきこの世なら、楽しく笑って過ごそう。」とします。このような享楽的な処世観は、江戸気質(かたぎ)という形で根付き、粋やいなせといった価値観を生み出します。人々は、歌舞伎や浄瑠璃や落語といった芸能、絵草子や浮世絵や瓦版といった出版物を創り出して流行らせます。江戸気質は、浮世に「享楽的ではかなきこの世」という意味を持たせて、それを、浮世絵で切り取って見せました。

  当時最大の娯楽は、色事でしたから、浮世絵の多くは、美人画や春画でした。江戸の若者は、
花魁の美人画を買って、仕事で稼いだ金を握って、吉原の遊郭へ足繁く通っていました。若者達は、「宵越しの金は持たねえ」と嘯(うそぶ)いて、我こそは、江戸気質の体現者であると吹聴しました。しかし、彼らは、自棄(やけ)になっていた訳ではありません。
    江戸幕府は、綱紀粛正と称して、倹約令を発布して奢侈禁止を徹底し、芝居小屋を江戸郊外の浅草へ移転して、寄席を閉鎖するなど、町人に遊興を止めさせるために、厳しく風俗を取締りました。彼らの行動は、このような幕府の粛清に対するささやかな抵抗なのです。「ふざけんな倹約なんかするもんか。芝居見物も廓通いも止めねえ。」という思いを、「宵越しの金は持たねえ」と表現したのだと思います。
  芝居小屋が移転された浅草は、その後、娯楽の中心地となり、現在に至ります。ですから、浅草には、今でも、粋でいなせな江戸気質が息衝いているのです。

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