2012年7月25日水曜日

古い窓ガラス


 この古い木造家屋は、だるま宰相と呼ばれた高橋是清翁が住んだ邸(やしき)です。
是清は、勝海舟の息子小鹿(ころく)と伴に、アメリカへ留学しますが、仲介者に
学費や渡航費用を着服され、農奴として売られるなど苦労を重ねます。帰国後は、
英語力を活かして教員になります。東京大学予備門英語教員時代に、俳人の正岡子規や
日本海海戦作戦参謀の海軍中将秋山真之を指導したことは、小説「坂の上の雲」
に紹介されたことで有名になりました。文部省御用掛を兼務した後、農商務省御用掛に
転じて頭角を現します。
 この邸を建てた頃は、日本銀行副総裁を勤めていました。邸の南と東に張巡らされた
ガラス窓は、正しくは「硝子障子」と言います。電燈が普及していなかったこの時代、
太陽や月の明りを室内に取り込むことは、家を建てる上での重要なテーマでした。
是清がいた頃のアメリカでは、既に板硝子の量産が始まっており、暮していた家の窓
にも硝子がはめ込まれていた筈です。ガラス窓を通して差し込む、太陽や月の光は、
眩しかったことでしょう。その上、断熱や保温効果の高いガラス窓に、是清は、憧れを
抱いたに違いありません。
 この邸が建った二十世紀初頭、日本での板硝子の生産は、まだ、始まったばかりでした。
国内生産が始まるまでの板硝子は、全て輸入品で、個人の家屋に使用するには高価すぎました。
農商務省に勤めていたことのある是清は、板硝子の国内生産が開始される時期を知っていて、
板ガラスの国内生産が開始されまで、この家の着工を待っていたのでしょう。
待っていた甲斐があって、この邸には、ふんだんに板硝子が使われています。まるで、
辛く苦しかったアメリカ時代を払拭するように。
 さて、板硝子には、庭の木々が映り込んでいますが、上手く像が結べていません。
これは、ピントが合っていない訳でも、硝子障子の建て付けが悪いわけでもありません。
この時期に製造された板硝子は、一枚、一枚、職人が手作業で製造しており、表面には、
僅に凹凸があります。このため、写りこんだ木々は、微妙に歪み、乱反射して、
キュビズムの絵画のように見えるのです。是清翁は、この硝子障子から見える庭木の
遥か向こうのアメリカやヨーロッパを見ていたことでしょう。
 この邸が建った数年後、日本は、日露戦争に突入します。是清は、戦時公債募集
のために欧米を訪問します。彼の努力で、日本は、戦争を継続することができました。
教え子の秋山真之が、日本海でバルチック艦隊を撃滅すると、やがて、戦争は日本の勝利
で終結します。
 その後、是清は、六度、大蔵大臣に就任して、片面だけを印刷した急造の二百円札を
大量に発行して、昭和の金融恐慌を沈静化させ、世界恐慌により引き起こされたデフレ
経済から、いち早く、日本を救出して見せました。しかし、時代は、青年将校を唆して、
この邸の二階で、是清翁を絶命させてしまいました。近年、暗殺される政治家がいないのは、
暗殺するに足る政治家がいないためだと、皮肉を言う評論家がいますが、デフレ経済に
溺かけている政治家を、「哀れ」と思っても、沈めてしまう価値は無いのかもしれません。

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