樽は、ここにあるワイン樽のように、酒や油などを詰める容器です。樽は、その頑丈さと
密閉性の高さから、運搬だけでなく、貯蔵にも用いられてきました。金属やプラスチックの
容器が登場するまで、樽は、運搬や貯蔵に用いられる容器の主役でした。詰める物や用途に
よって、様々な容積の樽があります。酒や油などの製品は、樽に入れられたまま、取引され
ることが多かったために、樽:バレル:barrelは、容積を表す単位としても使用されるよう
になりました。現在でも、石油は、バレル:barrel:bblという単位で取引されています。
このバレル:barrel:bblは、ヤード・ポンド法(Imperial unit)における容積を表す単位
です。アメリカの油田で、42ガロン=約159リットルのワイン樽が使われていたために、この
容積が取引単位となりました。アメリカとイギリスで、ガロン:gallonの容量が異なる(米:
3.79リットル、英:4.55リットル)ので、先程のバレル:barrelも、米:158.99リットルに対
して、英:159.1リットルと僅かに異なります。因みに、42ガロンのワイン樽は、ティアス:
tierceと言います。
さて、ワインは、古くは、羊の皮袋やアンフォラなどの陶器に入れられて運搬・貯蔵され
ていましたが、ローマ帝国が、ガリア人と交流(実は戦争)するようになると、ガリア人が使
っていた樽が、用いられるようになりました。一方で、ワインの製法もガリア人へ伝わり、
現在のフランスやドイツでも、ワインが製造されるようになりました。
16世紀半ばになると、ワインは、大航海時代のヨーロッパから、戦国時代の日本へ伝えら
れました。信長や秀吉が愛飲していた事は、有名です。彼らが飲んでいたのは、ポルトガル
のワインですから、葡萄に砂糖を加えて醸造した甘味の強いポートワイン(ポルト酒とも言
う)です。樽に詰められたポートワインは、リスボンの港から船に積まれて、喜望峰を周り、
ゴアとマラッカの港を経由して、当時、ポルトガルの貿易拠点が在ったマカオに到着します。
マカオで、中国の生糸や絹織物や硝石と伴に、再び船に積み込まれたポートワインは、漸く
長崎や平戸へ到着します。
17世紀初頭には、ポルトガルを併合したスペインやイギリスやオランダが、次々と東イン
ド会社を設立して、インドや東アジア貿易の覇権を争いました。オランダは、アンボイナ事
件で、イギリスをインドネシアからインドへ退けて、ジャカルタに拠点を置きました。一方、
スペインも、太平洋航路を開拓して、フィリピンのマニラに拠点を置いて、東アジアと交易
をしました。江戸幕府は、キリスト教を嫌って、スペイン・ポルトガルを遠ざけて、オランダ
と交易をするようになりました。この頃になると、ヨーロッパとアジア間の航路が整備され、
定期的に、輸送船団が行き交うようになりました。
しかし、当時の航海は、海賊船やサイクロンとの遭遇や敵対国の戦艦との交戦など、危険
がいっぱいでした。ですから、輸送船団は、全長と幅の比率が4:1と長形で、吃水が浅く速度
が出せるガレオン船を採用して、大砲を装備し、武装した乗組員を乗船させて、護衛の戦艦
を引き連れていました。ガレオン船は、積載能力が高く、船長1メートル当たり、10トン程
度の積載能力を持っていました。全長100メートル近い、排水量1,000トンを超える大型商船
も存在し、大砲を装備し、武装した乗組員を乗船させて、大量の弾薬や食料や日用品を積載
してもなお、かなりの重量の積荷を運搬することができました。
積載量(=排水量)は、質量の単位であるトン:ton:tで表わされますが、このトン:ton:t
も、樽を表す古い英語'tunne'に語源を持つ、ヤード・ポンド法の質量の単位です。ヤード・
ポンド法に於ける1トン:ton:tは、一番大きなワイン樽:タン:tunの容積である、252ガ
ロンの水の質量です。252ガロンの水の質量は、2240ポンドで、約1016.05kgです。17世紀初
頭に、オランダの輸送船団が、東インドから600,000ポンドの香辛料と交易品を持ち帰ったと
いう記録がありますが、これは水を詰めた42ガロンのワイン樽、約1,600樽分に相当します。
樽は高価な容器ですから、当然、高価な商品が詰められます。オランダ東インド会社は、
日本との交易で、江戸初期には、ベンガルやトンキン産の生糸で、銀を手に入れていました。
江戸中期になると、羅紗、ビロード、胡椒、砂糖、ガラス製品、書籍などを持込んで、銅、
樟脳、陶磁器、漆器などを手に入れていました。樽に詰められたこれらの高価な交易品や香
辛料は、ジャカルタの港から輸送船に積まれて、インドを経由して喜望峰を、周ってアムス
テルダムへ到着しました。
十字軍の遠征が失敗に終わり、暗黒と言われた中世が終焉して、ルネサンスというローマ
懐古運動によって、開放的で自由な世界観が、イタリアからヨーロッパ全土に広がると、人
々は、イスラム世界から伝来した羅針盤を握り締め、船に帆を張り、大海原へ出航して往き
ました。
大航海時代と呼ばれたこの時代、ヨーロッパに、ブルジョアジーといわれる新たな富裕層
が出現します。キリスト教の禁欲的な倫理観から開放されたブルジョアジーは、空の樽を巨
大なガレオン船に積んで、贅沢で珍しい文物を求めて、世界中を巡らせました。
ヨーロッパの港に到着した船から、香辛料や高価な交易品が詰め込まれた樽が降ろされる
と、それらは、ブルジョアジーへ手渡されました。富を手にしたブルジョアジー達の限りな
い欲望は、王や軍隊を唆して、かつてのローマ帝国のように、更なる富を求めて、アフリカ
やアジアの国々を侵略して行きます。欲望に唆されたヨーロッパの国々は、侵略した植民地
の覇権を巡って互いに争い、やがて、戦乱は、世界中へと広がって行きました。



